先月の終わりに、ピアニスト野口茜ちゃんの訃報を知りました。
2年ぐらい前から血液の病気にかかり、入退院を繰り返しながら、
いつか復帰する!と信じながら。
すぐには何がなんだか分からず
受け止める気持ちと無理な気持ちとあって
もうメッセージしたり一緒に演奏できないんだって哀しみが溢れ出るまでに時間がかかりました。
ずーっと前からお名前は知っていたし、
同じピアニスト同士、同世代、ラテンピアニストでもある彼女、
素晴らしいオリジナル曲や自身のビッグバンド、鍵盤ハーモニカの演奏、
共演者が似ている…などどこか共通の箇所をたくさん感じ、
凄いなぁと思うのと同時に
やはりライバルにも感じてた部分もありました。
出会いは某○のイタリアンなどの演奏での控え室だったかな。
今思えばきっと私のこと怖がってたと思いますよ。
私第一印象良くないので。(笑うところ)
そのあとかな、SNSで鍵盤の話で盛り上がって。
同じくピアニストの渚まいこちゃんも加わって「なんか面白いことやろうよ‼️」て。
鍵盤のデュオはよくありますが
鍵盤奏者3人!?
どーする?何が出来るかなーー
みんなオリジナルどんな感じー!?

こんな話から始まりました。楽しかった。

まずは初リハーサル。
彼女は我が子を抱えてのリハ。
気使っていたけれど、場は和んだし、こんな時間を共有できるのもちょっと仲良くれた気がした。


初ライブ。
ピアノ、エレピ、木琴、鍵盤ハーモニカは全部で4台ぐらいあったかな。
何をする集団だ、謎。笑

刺激的な時間でした。
二人とも素晴らしい演奏、楽曲。アレンジ。
お客さんはそんなに多くなかったけど。




その中に、ケンハモの伝道師…というか
ケンハモに携わるTさんがいらしていました。
後に、こんな流れに繋がります。
ケンハモのPR動画を創ろう、と言っていただき
スズキのメロディオンをみんなで使っての動画撮影。
こんなご縁を繋いでくれたのは、茜ちゃん。
感謝でしかないです。鍵盤弾き同士のプロジェクトが本格化した感じでとても嬉しかった。
そして、2019年8月ケンハモパーティー。渋谷にはこんなに沢山のケンハモ愛好家が!
コロナ禍に於ける今となってはこの光景すら眩しい。



三人でステージに立ったのはこれが最期。
こういうイベントに繋がっていって、なんとなくやって良かったなぁって思ってたんです。
まさかこんな流れになるとは。
でも、ここからもっと発展する予定でした。
もう一度3人のライブをやろう!ってなった時には
彼女の容態が悪くなり始めたときで。
とても優しく気を使って断りきれなかったかなぁ、て今となっては思います。
まさかこんなにひどくなるとは思わなかったと思う。全員が。
結局、このプロジェクトが会ったのは最後になってしまいました。
入院中のこととか、自宅に帰った時にこの3人でZOOMしたりしたけど、
結局は直接話したのはこれが本当の最期。
彼女のような、音楽が&ピアノが好きでしょうがない、という人に出逢えたのが嬉しかったし
一緒に演奏したりキューバの話したりラテンやピアノの話したり、
もっと出来たよね。
彼女はまだ小さい二人の娘さんの母親でもあって、
子連れのリハーサルをしたこともあったし、同じ女性としてもとても尊敬していました。
茜ちゃんの10年後とか想像することも出来るし、一緒に遊んだりもっとしたかった。

本当にまだまだ信じられないんですよ。
私の敬愛する志村けんさんの死は受け入れられたんだけど
ピアニスト野口茜は時間ががかります。
とにかく、音楽で出逢えたことに感謝で
彼女のおかげで鍵盤ハーモニカのイベントに出れたり
鍵盤奏者の接点を作ってもらったり。
本当に、付き合いは短かったけど
一緒に演奏してくれてありがとう。
やっとこのブログを書く前日に初めて想いが溢れてきて
涙が止まりませんでした。すぐに想いを言葉にできないぐらいでした。


闘病、本当に辛かったと思う。
誰よりも演奏したかっただろうし、絶対復帰するって言ってた
待ってたし心配だった、だけどきっと計り知れないほどきつかったと思う
だんだん年齢を重ねてきてこういう直面はあるのだろうけど、
仲間を失うのは何より辛い。
一緒に未来を観ていくはずだったじゃないですか。
やっとこれから仲良くなるんだったじゃないですか。
彼女の遺した音源や言葉、機会があれば目に留めてください。
嫉妬するぐらい素晴らしい音楽家です。
「野口茜」
こんな短期間で沢山の想い出をありがとう。
あなたの存在は一生私の心の中に残ります。
あっつい、あたたかいピアノをありがとう。
私が迷ったときは、空からクラーベを叩いてね!!!!

2年ぐらい前から血液の病気にかかり、入退院を繰り返しながら、
いつか復帰する!と信じながら。
すぐには何がなんだか分からず
受け止める気持ちと無理な気持ちとあって
もうメッセージしたり一緒に演奏できないんだって哀しみが溢れ出るまでに時間がかかりました。
ずーっと前からお名前は知っていたし、
同じピアニスト同士、同世代、ラテンピアニストでもある彼女、
素晴らしいオリジナル曲や自身のビッグバンド、鍵盤ハーモニカの演奏、
共演者が似ている…などどこか共通の箇所をたくさん感じ、
凄いなぁと思うのと同時に
やはりライバルにも感じてた部分もありました。
出会いは某○のイタリアンなどの演奏での控え室だったかな。
今思えばきっと私のこと怖がってたと思いますよ。
私第一印象良くないので。(笑うところ)
そのあとかな、SNSで鍵盤の話で盛り上がって。
同じくピアニストの渚まいこちゃんも加わって「なんか面白いことやろうよ‼️」て。
鍵盤のデュオはよくありますが
鍵盤奏者3人!?
どーする?何が出来るかなーー
みんなオリジナルどんな感じー!?

こんな話から始まりました。楽しかった。

まずは初リハーサル。
彼女は我が子を抱えてのリハ。
気使っていたけれど、場は和んだし、こんな時間を共有できるのもちょっと仲良くれた気がした。


初ライブ。
ピアノ、エレピ、木琴、鍵盤ハーモニカは全部で4台ぐらいあったかな。
何をする集団だ、謎。笑

刺激的な時間でした。
二人とも素晴らしい演奏、楽曲。アレンジ。
お客さんはそんなに多くなかったけど。




その中に、ケンハモの伝道師…というか
ケンハモに携わるTさんがいらしていました。
後に、こんな流れに繋がります。
ケンハモのPR動画を創ろう、と言っていただき
スズキのメロディオンをみんなで使っての動画撮影。
こんなご縁を繋いでくれたのは、茜ちゃん。
感謝でしかないです。鍵盤弾き同士のプロジェクトが本格化した感じでとても嬉しかった。
そして、2019年8月ケンハモパーティー。渋谷にはこんなに沢山のケンハモ愛好家が!
コロナ禍に於ける今となってはこの光景すら眩しい。



三人でステージに立ったのはこれが最期。
こういうイベントに繋がっていって、なんとなくやって良かったなぁって思ってたんです。
まさかこんな流れになるとは。
でも、ここからもっと発展する予定でした。
もう一度3人のライブをやろう!ってなった時には
彼女の容態が悪くなり始めたときで。
とても優しく気を使って断りきれなかったかなぁ、て今となっては思います。
まさかこんなにひどくなるとは思わなかったと思う。全員が。
結局、このプロジェクトが会ったのは最後になってしまいました。
入院中のこととか、自宅に帰った時にこの3人でZOOMしたりしたけど、
結局は直接話したのはこれが本当の最期。
彼女のような、音楽が&ピアノが好きでしょうがない、という人に出逢えたのが嬉しかったし
一緒に演奏したりキューバの話したりラテンやピアノの話したり、
もっと出来たよね。
彼女はまだ小さい二人の娘さんの母親でもあって、
子連れのリハーサルをしたこともあったし、同じ女性としてもとても尊敬していました。
茜ちゃんの10年後とか想像することも出来るし、一緒に遊んだりもっとしたかった。

本当にまだまだ信じられないんですよ。
私の敬愛する志村けんさんの死は受け入れられたんだけど
ピアニスト野口茜は時間ががかります。
とにかく、音楽で出逢えたことに感謝で
彼女のおかげで鍵盤ハーモニカのイベントに出れたり
鍵盤奏者の接点を作ってもらったり。
本当に、付き合いは短かったけど
一緒に演奏してくれてありがとう。
やっとこのブログを書く前日に初めて想いが溢れてきて
涙が止まりませんでした。すぐに想いを言葉にできないぐらいでした。


闘病、本当に辛かったと思う。
誰よりも演奏したかっただろうし、絶対復帰するって言ってた
待ってたし心配だった、だけどきっと計り知れないほどきつかったと思う
だんだん年齢を重ねてきてこういう直面はあるのだろうけど、
仲間を失うのは何より辛い。
一緒に未来を観ていくはずだったじゃないですか。
やっとこれから仲良くなるんだったじゃないですか。
彼女の遺した音源や言葉、機会があれば目に留めてください。
嫉妬するぐらい素晴らしい音楽家です。
「野口茜」
こんな短期間で沢山の想い出をありがとう。
あなたの存在は一生私の心の中に残ります。
あっつい、あたたかいピアノをありがとう。
私が迷ったときは、空からクラーベを叩いてね!!!!

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